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伊豆八幡野合宿の特別講習3 瞳孔不睨

肥田式強健術に記載されている目の使い方。これが抽象的で(動画内にて解説)この方法を何年、修行しても上手く使えるようにはならないだろう。天才でない限り、一生かかっても「その」境地には辿り着けない。


そう考えると、ちょうど良い時代に生まれて良い師に巡り会えたと思う。大抵は大きな変化も見られずに何十年も過ごしてしまうものだから。


高木一行先生の目の使い方は25年以上前に学んだ内容だが、この様なハイレベルで目の使い方を言及されていること、武術や身体運用法として、とても偉大な貢献だと思う。


日本古来の誰もが知る有名な流派でさえ、漠然とした目の使い方しか言及していない。この大きなレベルの差は、批判ではなく純粋に素直に認識しておくべきことだろう。自身の上達にも繋がる。


この技術も同様に、調子が悪い何故か出来ないと言う時にリカバリーする一つの技術だ。目が居付いていて調子が悪い出来ないと言う場面は、稽古中時々、目にする。


何となく目の使い方が上手く出来るでは、心もとない。確実に出来る様にしたい。



私は武芸塾の稽古は勿論、他にHealing&Amulet 12ヶ月講座プロコース内的エネルギーのオンラインレッスン)も行っていて、指導もしつつ有り難いことに多くを学んばせて頂いている。


12ヶ月講座プロコースの会員さんから、時々、瞳孔不睨の質問を受けることもあり、その度に明確な意味は何か? と自問自答していた時期があった。


初めは単純に、その目の使い方をしていた方が技が効くから採用していた。しかし、色々と考えるうちに、どうやら目の居つき解除だと感じる様になった。


練功とは、肉体と意識体の分離を促すとも言える。そのために肉体と意識体の連動を切り離す各種練功を行う。目に関しても同様で、視線と意識の分離を促し自由自在に操作するために瞳孔不睨を行う。今はこの様に捉えている。


身体の各部練功が進んで良い状態に変化できたとしても、視線と意識の分離が出来ていなければ、目に支配されて居ついた状態が即座に全身に反映されてしまう。


逆も然りで、身体が居ついていれば、それが目に反映される。


結局、連動しているため、どちらが先か? と言う話ではなく、どちらも必須なのだ。


その様に考えると、視線と意識の分離がちょっと甘ければ(居つき)身体全体も甘くなるし、視線と意識の分離がより深く出来ていれば、身体全体もより良い状態に持って行けることになる。


この思考法にまつわる話で、稽古でも勿体ないなぁと思うのが…

数回やって出来た、後は他の人のを見ている、と言うパターン。


つい最近、目にしたのは体験稽古に参加した方だ。


それは出来る方法を教えているのだから、多少下手でも出来るのが当然であって、だからと言って完成ではないのに、出来た気分、分かった気分になってしまう。


教える人間は、ある程度の経験を積んだベテランが対応し、初心者なのでかなり緩い基準で抵抗している。本当は繊細に見れば居ついているのだが・・・


なのに勘違いしてしまう方もいらっしゃる。


それから、最近の思考パターンは情報を得られれば良しとする傾向があるのかも知れない。情報を得られれば(身体が)変わった気分になってしまう。しかし、実際には自分の身体は何も変化していないのだが・・・


この辺りも認識した上で、もっと精度を上げたい、色んなシチュエーションでも再現できるようにしたい、と考えていたら、楽しくて夢中になって他の人を見ている暇は無い様に思うのだが。


そうしなさい、と強制しているのではなくて、その様に考えたら夢中になりませんか? と。夢中になっているグループは、本当、休み無く稽古している。見ていて羨ましい。



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