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不完全、購入して学んで完成する画像_edited.jpg

「仙骨の角度は垂直に」一度は耳にしたことがあるだろう。


動画内でも言及しているが、そんなことは気にせず練功する方が上達できる、と言う立場を取っている。


ある上級者が「日々、練功を続けられるかどうか…これハードル高いです。継続的に練功を続けられる人は、かなり少数だと思います。」と言っていた。


私自身は、練功は実生活で活用できる発見があって楽しいものなので、そんなものかな?と、にわかには信じられないのだが。


武芸塾で行う練功は、脳、思考を常にフル活用しなければならない。この様な行為を脳は嫌う。できる限り脳を使わないで済む方法、楽できる方法を好む。


この骨を使うと技が効く、仙骨の角度がキーだ、正確な型を繰り返し鍛錬すれば凄いことに、とにかく無心でやり続ければ道は拓ける… 世の中、皆、この様な思考停止、もしくは楽な思考で済みそうな道を選んでいる。


脳のカラクリを知って当てはめてみると、武術に対する考え方も変わるのではないだろうか?


全く意味不明な考え方、分からない感覚が腑に落ちるまで、脳を使って諦めずに続けていると、1週間から10日程で腑に落ちる様になってくる。更に、次の技術も同様に繰り返す。


この様なやり方を繰り返すので、繊細精妙な感覚が身に付き、劇的に上達ができるのだ。脳を始め全身の各細胞を覚醒させた方が良いのは明白だろう。


練功を積むと数ヶ月で、角度を知らずとも練功で培った感覚で、どの角度が良いのかが分かるようになる。


垂直の感覚は、中庸・均等の感覚でもある。地面に対してどちらにも偏りがない状態。自分の中心が垂直ではない。出した肘の位置で地面に対して垂直でなければならない。


受け手が抵抗しようと思っても、干渉できないポイントであり、相手の意識とぶつからない感覚、意念非衝でもある。


結果的に、どれも同じ感覚を色々な言葉で表しているに過ぎないのでは?とも思えて来る。だからと言って「全ては中庸・均等のみ」なんて言い出したら、これから学ぼうとする方には辿り着ける道程が閉ざされたも同然だろう。


ここでもまた脳の特性が鎌首をもたげる。


「全ては中庸・均等のみ」と考えた方が、楽が出来たのに…


 

1.同調作用の原理


先端から先端へ動くと相手は同調し易い、筋肉を出力器官ではなく伝達器官として使用する。この原理が初期の技術だった。高木一行先生が30年ほど前から提唱していた。


当時、発勁の原理を解説していた人は皆無だったと思う。繊細精妙な意念のコントロールによる発勁も解説していたが、当時の私には全く訳が分からず「同調作用の原理」のみが強烈な印象として残っている。


佐川派大東流に通っていた初期、この技術を練習するうちに、合気上げを初め色々な技がスムーズにできる様になった。もちろん絶対では無かったが、全然、出来なかった所から一筋の光が垣間見えた瞬間だった。


身体の動きも変わり、武術的な動きができる様になる。これは佐川派大東流にも無く(説明を聞いたことが無い)、「同調作用の原理」の成しえる技だ。


武芸塾では初期に学ぶ技術で、指足順動や居つきの無い身体を作り上げる重要なものでもある。ここから、勁力・意念の流れが加わるとより効きが良いことに気付いていく。



2.勁力・意念の流れと方向


「同調作用の原理」に加えて、物質世界では見ることは出来ないが、勁力・意念の流れをイメージするとより発勁が有効なことに気付く。


遍流創出や深流創出ではなく、あくまでも相手の身体に勁力を効かせて技をかける。


通常の力では相手とぶつかってしまうので、一般的には知られていない、ほとんど耐性の無い力、勁力で相手とのぶつかりを生じさせずに技をかける。


そして、イメージよりも深い次元、無段階別次元まで影響を与えるように発勁をすると、より効きが良くなる。深い次元、無段階別次元を感じつつ、そこにも影響を与える様に行うと映像にも違いが、独特の雰囲気が表れる。




3.意念非衝による発勁


2024年9月頃から、発勁・勁力が全く効かなくなってしまった。その原因として、遍流創出の稽古をする様になったため。正中心練磨と遍流創出によってレベルアップしているから良いことではあるのだが、初歩の技術が稽古できなくなるのは問題だ。


遍流創出は、相手の肉体に働き掛けず空間に働きかけるので、より察知され難くなる。


しかし、受け手にこの耐性が付くと、発勁・勁力は肉体に働き掛けるため察知し易いもの(居つき)となってしまう。これでは発勁・勁力の稽古が出来ないと危惧していたのだが、二月ほど経過した頃、明るい兆しが見えてきた。


垂直落下や意念非衝(前回の記事)の稽古をすると、相手の意識と微妙にぶつかり意識の壁が生じているか?いないか? が分かるようになる。


この見えないが存在する意識の壁を生じさせず、相手の意識とぶつからずに隙間をすり抜ける様に意念を通すことが可能になる。なんと、この感覚を用いた発勁・勁力は通用する。


今までは気付けなかったが、これまでの発勁・勁力は微細な居つきを生じていたのだ。



※前提として受け手は化勁をせずに抵抗する


一般的には知られていない力、相手とぶつからない力である発勁・勁力を使う

発勁・勁力が効く

遍流創出などで繊細な感覚を養っている人に発勁・勁力を使う

察知されてしまう

意念非衝(相手の意識とぶつからず、察知されない)を含んだ発勁・勁力を使う

発勁・勁力が効く


現在、この様な流れで変遷している。意念非衝はうっすらとは感じていたし、上級者もこれを多少は無意識のうちに行っていたため初級者より発勁・勁力を効かせ易かった。


しかし最近は「意念非衝」と名称を付けるほど意識し、この技術を取り入れ稽古しているので、より高度な発勁・勁力へと進歩している。


 

※意識、意念は同意語として解説


これは、Healing&Amulet 12ヶ月講座プロコースのオンラインレッスンの時に気付いた技術だ。


オンラインレッスンは武術の対人稽古と違って、自分の身に危険が及ばない安全な状態で行われる。どんなに殴っても蹴っても画面上なので痛くも痒くもない。なので、とても安心平穏な中で、意念のみで行われる。


そのため、武術の対人稽古では気付けない繊細な気付き、発見が多々ある。繊細とは言え、武術に於いてもその法則は厳然と機能している。そのため、そこに気付いて活用できれば、技もより確実なものとなる。


下図のイラストは、お互いの意識・意念がぶつかり合い、見えない壁が生まれる様子を表している。


それぞれの色は、

・左側の男性は水色

・右側の男性は黄色

・意識のぶつかり合いによって生じた壁を灰色


お互い違う意識、思いなのでぶつかり合う。その時に壁が生じる。


左側の意識は水色、右側は意識は黄色、意識のぶつかりで生じる壁は灰色

ぶつかり合いによって壁が生じている状態だと、技は効かない。ぶつかり合いによる壁が生じなければ技は効く。もちろん、体格差や筋力差があれば強引に効かせることもできるだろうが、それでは武術をやっている意味が無い。


この壁は、稽古仲間であっても、攻撃的な関係であっても、猜疑心で満たされていても、どんな状態でも生まれる。


相手が出してくる意識、意念、思い、例えば、攻撃的な意念を出された時、相手にすると意識のぶつかり合いによる壁が生じてしまう。相手に乗ってしまったら、意識はぶつかり合って壁が生じてしまう。


ところが、その攻撃的な意念が来ていることを感じつつも、相手にせず、攻撃的な意念をすり抜ける様にするとぶつかりが生じないので、ぶつかり合いによる壁も生じない。


相手の意識の壁は存在するが、すり抜ける、突破する、隙間を抜ける。普段から繊細さを養っていなければ、すり抜けられない芸当だ。


因みに、合気は相手とぴったり気を合わせるので、相手そのものの意識・意念になるので、ぶつかり合いによる壁が生じない。


似たような概念で勘違いし易いので念のため、無念無想は意念非衝と同意では無い。


仏教用語で「一切の邪念を離れて無我の境地に到達した状態」や「一切の考えを捨てて無心になること」を意味する。


要は無心になることだ。


意念非衝は「相手の意識、意念、思いを感じていても、ぶつからない、すり抜ける、相手にしないことを選択する」という意味だ。


我々の脳の特性からすると、可能な限り考えたくないし楽をしたい習性がある。無念無想の方が脳の特性に近いことを、知識として覚えておくのは無駄では無いだろう。無心に型さえやっていれば…という発想も該当する。


どちらを選択した方が後々、より高みへ進めるのか? と考えれば自ずと答えは見えてくるだろう。楽をすれば退化するし、付加をかければ進歩する。


肥田式強健術も同様で、型のみやった人より内的エネルギーを頭を使いながらやった人の方が、好ましい結果が出ている。

意念非衝

意念非衝を更に確信できる概念へと昇華させよう。


肉体と意識について。


動物も然り、人間も然り、肉体と意識がセットで動ける、強い力を発揮できる、良いパフォーマンスを発揮できる。


どちらかが欠けても良くない。「なんか調子が悪いんだよなぁ…」 となってしまう。分かり易く例を挙げると、屈強なのに、心の病で仕事に行けない、果ては自殺するなんてこともあり得る。


屈強だから、筋肉があるから、体格が良いから強い訳では無い。心も車の両輪と同様、とても重要なものだ。それぞれが半々位に重要。


特殊な訓練を積んでいない限り、この法則下にあると思って間違いない。なので、意識のぶつかり合いによる壁が生じている状態が、通常の人は力を発揮し易い。


ぶつかり合い=支え合い


とも言える。その状態で対立したり戦おうとする。


そう、意識の壁があることを前提にことを進めるのが通常なのだ。その状態が最高のパフォーマンスを発揮できることを無意識下で知っている。今まで、その様に世間から何度も何度も繰り返し躾けられて活動して来たのだから当然だ。


半分を占める意識、この部分の支え合いを無くしてしまう技術がこれだ。


あなたは、相手の意識とぶつけたいのか? どうだろう? 今までの人生の躾け通りならばぶつけたいだろう。そうではなく、ぶつけるのか? ぶつけないのか? を選択する意識を持てば、結果は大きく変ってくる。


相手は、ぶつかって来ることを望んでいるのだから、このカラクリを知っていれば、冷静にぶつからないことを選択できるのではないだろうか?


最後に、意念非衝をしっかりと認識した上で発勁をすると、格段にキレのあるものになる。以前、勁力が効かなくなったと述べたが、意念非衝も含む発勁は効くことに、ごく最近、気付いた。


微妙に相手の意識とぶつかっていたことが、原因だったのだ。完了形思考でなければ、どんどん上達し変化できるし、更に1年後にはどうなっているか、とても楽しみである。


 
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