※意識、意念は同意語として解説
これは、Healing&Amulet 12ヶ月講座プロコースのオンラインレッスンの時に気付いた技術だ。
オンラインレッスンは武術の対人稽古と違って、自分の身に危険が及ばない安全な状態で行われる。どんなに殴っても蹴っても画面上なので痛くも痒くもない。なので、とても安心平穏な中で、意念のみで行われる。
そのため、武術の対人稽古では気付けない繊細な気付き、発見が多々ある。繊細とは言え、武術に於いてもその法則は厳然と機能している。そのため、そこに気付いて活用できれば、技もより確実なものとなる。
下図のイラストは、お互いの意識・意念がぶつかり合い、見えない壁が生まれる様子を表している。
それぞれの色は、
・左側の男性は水色
・右側の男性は黄色
・意識のぶつかり合いによって生じた壁を灰色
お互い違う意識、思いなのでぶつかり合う。その時に壁が生じる。

ぶつかり合いによって壁が生じている状態だと、技は効かない。ぶつかり合いによる壁が生じなければ技は効く。もちろん、体格差や筋力差があれば強引に効かせることもできるだろうが、それでは武術をやっている意味が無い。
この壁は、稽古仲間であっても、攻撃的な関係であっても、猜疑心で満たされていても、どんな状態でも生まれる。
相手が出してくる意識、意念、思い、例えば、攻撃的な意念を出された時、相手にすると意識のぶつかり合いによる壁が生じてしまう。相手に乗ってしまったら、意識はぶつかり合って壁が生じてしまう。
ところが、その攻撃的な意念が来ていることを感じつつも、相手にせず、攻撃的な意念をすり抜ける様にするとぶつかりが生じないので、ぶつかり合いによる壁も生じない。
相手の意識の壁は存在するが、すり抜ける、突破する、隙間を抜ける。普段から繊細さを養っていなければ、すり抜けられない芸当だ。
因みに、合気は相手とぴったり気を合わせるので、相手そのものの意識・意念になるので、ぶつかり合いによる壁が生じない。
似たような概念で勘違いし易いので念のため、無念無想は意念非衝と同意では無い。
仏教用語で「一切の邪念を離れて無我の境地に到達した状態」や「一切の考えを捨てて無心になること」を意味する。
要は無心になることだ。
意念非衝は「相手の意識、意念、思いを感じていても、ぶつからない、すり抜ける、相手にしないことを選択する」という意味だ。
我々の脳の特性からすると、可能な限り考えたくないし楽をしたい習性がある。無念無想の方が脳の特性に近いことを、知識として覚えておくのは無駄では無いだろう。無心に型さえやっていれば…という発想も該当する。
どちらを選択した方が後々、より高みへ進めるのか? と考えれば自ずと答えは見えてくるだろう。楽をすれば退化するし、付加をかければ進歩する。
肥田式強健術も同様で、型のみやった人より内的エネルギーを頭を使いながらやった人の方が、好ましい結果が出ている。

意念非衝を更に確信できる概念へと昇華させよう。
肉体と意識について。
動物も然り、人間も然り、肉体と意識がセットで動ける、強い力を発揮できる、良いパフォーマンスを発揮できる。
どちらかが欠けても良くない。「なんか調子が悪いんだよなぁ…」 となってしまう。分かり易く例を挙げると、屈強なのに、心の病で仕事に行けない、果ては自殺するなんてこともあり得る。
屈強だから、筋肉があるから、体格が良いから強い訳では無い。心も車の両輪と同様、とても重要なものだ。それぞれが半々位に重要。
特殊な訓練を積んでいない限り、この法則下にあると思って間違いない。なので、意識のぶつかり合いによる壁が生じている状態が、通常の人は力を発揮し易い。
ぶつかり合い=支え合い
とも言える。その状態で対立したり戦おうとする。
そう、意識の壁があることを前提にことを進めるのが通常なのだ。その状態が最高のパフォーマンスを発揮できることを無意識下で知っている。今まで、その様に世間から何度も何度も繰り返し躾けられて活動して来たのだから当然だ。
半分を占める意識、この部分の支え合いを無くしてしまう技術がこれだ。
あなたは、相手の意識とぶつけたいのか? どうだろう? 今までの人生の躾け通りならばぶつけたいだろう。そうではなく、ぶつけるのか? ぶつけないのか? を選択する意識を持てば、結果は大きく変ってくる。
相手は、ぶつかって来ることを望んでいるのだから、このカラクリを知っていれば、冷静にぶつからないことを選択できるのではないだろうか?
最後に、意念非衝をしっかりと認識した上で発勁をすると、格段にキレのあるものになる。以前、勁力が効かなくなったと述べたが、意念非衝も含む発勁は効くことに、ごく最近、気付いた。
微妙に相手の意識とぶつかっていたことが、原因だったのだ。完了形思考でなければ、どんどん上達し変化できるし、更に1年後にはどうなっているか、とても楽しみである。

