水鳥が飛び立つ瞬間を観察したことがあるだろうか。 彼らが宙へ舞い上がるためには、必ず踏み込むための「足場」が必要となる。
地面であれ水面であれ、そこに確固たる拠り所があり、それを強く蹴り出すことで初めて飛翔という物理的な現象が生まれる。これは昔から語り継がれてきた自然の理法である。
私自身、この水鳥の動きをじっくりと観察し、合気したことがある。すると、鳥が飛び立つ瞬間に蹴り込んでいる「地面」の存在、その強烈な拠り所の感覚が、私の内部感覚として明確に伝わってきた。
拠り所がなければ、決して飛び立つことはできない。 ならば、その「地面」を消してしまえばどうなるか?
無論、物理的な現実世界において地面そのものを消し去ることは不可能だ。しかし、我々が探求している「深い次元・無段階別次元」の世界において、対象の認識から地面という拠り所を消去することは可能である。
実際にこの次元から地面を消すアプローチを試みると、驚くべきことに、水鳥が飛び立って逃げていくという現象が明らかに減少した。拠り所を失った存在は、逃げるというアクションを起こすための「発火点」を失うのである。
この現象を、人間の身体操作と意識の書き換え、すなわち武術における対人関係へと応用したものが「キエルチ」である。
「キエルチ」の構造は、対象の拠り所をどの階層で消去するかによって、四つの段階に分けられる。
第一階層:足元の地面を消す
最初の段階は、受け手(相手)が立っている「地面」を、「深い次元・無段階別次元」の世界で消滅させる。
人間は立っている時、無意識のうちに地球の重力と地面からの抗力に依存し、そこを絶対的な拠り所としてバランスを保っている。この無意識の拠り所を別次元からアクセスして消し去ると、受け手の脳は瞬間的に立脚点を見失う。
これだけで、こちらの物理的な技は劇的に効くようになる。踏ん張るための「土台のデータ」が脳内から消失するからだ。
第二階層:接触面の拠り所を消す
次に消すのは、互いに触れ合っている部分である。 手首を掴まれた箇所、あるいは道着を握られた接点。ここを受け手にとっての「地面(拠り所)」と同じように消去する。
人間は接触が起きた瞬間、そこを基準点として力を出そうとする。しかし、自分がしっかり掴んでいるはずのその接点が、突如として認識上から「存在しないもの(拠り所にならないもの)」として処理されるとどうなるか?
脳は掴んでいるのに掴んでいないという矛盾に陥り、第一階層の時よりもさらに深く、そして容易に技が掛かる。
第三階層:空間の拠り所を消す
三つ目の階層は、受け手の「周囲の空間」という拠り所を消すことである。 人間は無意識のうちに、周囲の空間から視覚的、空気的な情報を絶えず受け取り、心身ともにその空間に「寄りかかって」生きている。
空間というフレームがあるからこそ、自分の位置を把握し、安心感を得て、次の行動を決定できる。 この空間という見えない壁、無意識の依存先を消去する。すると、受け手は宇宙空間に放り出されたような感覚に陥り、脳は完全にバグを起こす。
空間からの情報という命綱を断たれた状態では、こちらの操作に対して更に抵抗し難くなる。
第四階層:心の拠り所を消す
そして最終段階が、受け手の「心の拠り所」を消すことだ。 その人間が個人的に何を拠り所にして生きているか、何をモチベーションにしているかなど、具体的な内容を知る必要は一切ない。
ただ、精神の根底にある「寄りかかっている柱」そのものを、深い次元・無段階別次元から消去する。 闘争において、人間は「怒り」「プライド」「目的」といった心の拠り所があるからこそ、歯を食いしばって頑張ることができる。
攻撃的な気持ちも、そこから生じる。しかし、このキエルチを精神領域に作用させると、相手は「なぜ自分が戦っているのか」「なぜ踏ん張る必要があるのか」という根本的な理由を喪失する。 精神的ダメージを与え、文字通り「頑張れなくなる」状態へと追い込む。攻撃の意思そのものが霧散していくのである。
練功を積む者たちへの警告
ここで、純粋に武術の稽古に向き合っている武芸塾の塾生、および正中心を練磨している皆さんに、強く警告をしておく。
この「キエルチ」を、純粋な稽古の場において互いの精神に対して不用意に使ってはならない。なぜなら、稽古に対する「上達したい」「強くなりたい」という心の拠り所すらも消滅させてしまい、純粋に「稽古をする気」がなくなってしまうからだ。その光景を見ていると、モチベーションがガタ落ちになるのが明確だ。
そして何より恐ろしい罠は、意図的に「キエルチ」を行わなくとも、我々が武芸塾で日々提唱し、実践している「居つき解除」の数々の練功を深めて行くと、必然的にこの「拠り所が消滅していく方向」へと進んでいくという事実である。
居つきを外すということは、心身が依存していたあらゆる執着(拠り所)を一つずつ手放していくプロセスに他ならない。 練功のレベルが上がれば上がるほど、これまでの自分を突き動かしていた「わかりやすいモチベーション(誰かに勝ちたい、認められたい、上手くなりたい)」は、確実に減っていく。
今まで頼りにしていた心の燃料が燃え尽きたように感じ、一種の虚無感に襲われる時期が必ず来る。
それを「スランプだ」「情熱が冷めた」と勘違いしてはならない。 それは、あなた自身の内部OSがアップデートされ、無意識の拠り所(居つき)が消え去った証拠なのだ。
この罠を事前に頭へ入れておかなければ、拠り所を失った途端に自分を見失い、論理的に止める理由を導き出し、正中心への道を自ら降りてしまうことになる。
先日、今は稽古に参加していない元塾生と交流する機会があった。 彼は以前、当塾の稽古に参加し、「合気」や「神」の領域まで学んでいた。
我々は自分の肉体(ハードウェア)の性能を、果たして何%引き出せているのだろうか?練功をすると何%引き出せるのか?
